北口榛花さんは、やり投の選手。
女子日本記録保持者で、
オリンピック、世界陸上競技選手権の陸上女子フィールド種目では、
日本人唯一のメダル獲得者です。
今回は、北口榛花さんのチェコ語の話。
このページでは、
- 「【動画】北口榛花のチェコ語が流暢!」
- 「北口榛花のチェコ語はなぜ流暢?」
- 「北口榛花は英語も話せる?」
などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
【動画】北口榛花のチェコ語が流暢!
北口榛花のプロフィール
はじめに、
北口榛花選手のプロフィールを確認していきます。
【北口榛花選手のプロフィール】
- 名前:北口 榛花(きたぐち はるか)
- 生年月日:1998年3月16日(2023年10月現在 – 25歳)
- 出身地: 北海道旭川市
- 学歴:北海道旭川東高等学校 ⇒ 日本大学スポーツ科学部を卒業
- 身長:179cm
- 所属:日本航空株式会社(JAL)
専門種目の魅力について、
『美しい放物線』と答えています。
公式ページのメッセージには、
「しなやかなフォームから生み出される美しい放物線に注目して欲しいです」
と書いてありました。
競技を始めたのは、
高校時代の先生に誘われたことがきっかけだったそうです。
メインは、やり投。
北口榛花選手は、砲丸投と円盤投もやっています。
中学校時代まで北口榛花選手は、
幼少期から始めた水泳と小学生から始めたバドミントンに打ち込んでいました。
北口榛花選手を陸上競技(やり投)に誘ったのは、
旭川東高等学校クラブ顧問の松橋昌巳先生(現:北翔大学コーチ)。
やり投を始めて2か月で北海道大会を制覇し、
2年生の時には全国高等学校総合体育大会陸上競技大会で優勝しています。
日本大学卒業後、
2020年4月1日に日本航空株式会社(JAL)入社。
【北口榛花選手の自己ベスト記録】
- やり投: 67m38(2023年9月8日)
- やり投(500g):60m35( 2015年7月16日)
- 砲丸投:14m20(2015年5月5日)
- 円盤投:40m93(2015年9月5日)
【動画】北口榛花のチェコ語が流暢!
北口榛花選手のチェコ語が流暢なのは、
感情まで表現できるほどで「もはや現地の人レベル」と話題です。
チェコ語でインタビューに答える北口榛花選手は、
YouTubeで見ることができます。
「チェコ陸上競技連盟」のYouTubeチャンネルから、
2023年8月25日に投稿された北口榛花選手のインタビュー動画。
参考までに日本語のインタビューは、
次のような感じです。
話している表情を比較してみてください。
北口榛花のチェコ語はなぜ流暢?ハーフだから?
北口榛花のチェコ語はなぜ流暢?ハーフだから?
北口榛花選手はハーフではありません。
両親ともに日本人です。
父親の幸平さんはパティシエで、
アートホテル旭川で製菓料理長を務めています。
北口榛花選手の名前の由来には、
パティシエの父親らしい話がありました。
先に決めたのは「はるか」という読み。
それ合う字にヘーゼルナッツを指す「榛」を見つけて、
「榛花」と名付けたそうです。
母親の規子さんは共同石油(現在のENEOS)のバスケットボール選手として活躍され、
引退後も指導者をしていました。
2021年8月2日の日刊ゲンダイDigitalの記事では、
父親の幸平さんが次のような話をしています。
「妻も172センチでバスケ経験者。だから、もともと榛花にもバスケをと思い、体づくりのために幼少期から水泳をさせました。小学生になって一時はミニバスもしていましたが、今度はバドミントンに興味が移っちゃったみたいで(笑い)」とは、幸平さんだ。
画像引用元:https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/292750
北口榛花選手はX投稿で、
「似てますよね」ということで、
「わたしのお母さんの若かりし頃とバレーボールの長岡選手」
と画像をアップしていました。
北口榛花のチェコ語が流暢なのは現地で修行してたから!
北口榛花選手のチェコ語が流暢なのは、
修行のために競技の拠点をチェコに移したからです。
コーチがいない状態が続いていた北口榛花選手。
日本大学1年の2016年5月に、
当時日本歴代2位の61メートル38を出し注目されるも、
1か月後に右ひじ靱帯を損傷。
その後は指導者も退任し、
北口榛花選手は支えも希望も見いだせない日々が続く中で不安で押しつぶされ、
大会に出るたびに涙を隠せない姿がありました。
転機は、2018年11月のフィンランドでのやり投の国際講習会。
チェコのジュニアコーチ・デイビッド・セケラック氏の指導方法に興味を持ちます。
すぐに、
北口榛花選手は行動を起こしました。
(2021年8月6日の日刊スポーツの記事)
どん底を切り開いたのは自らの行動力だった。転機は18年11月。フィンランドで国際講習会に参加。やり投げ大国チェコでジュニア世代を教えるデービッド・セケラック氏と出会った。「コーチがいない」など現状を伝えた。不慣れな英語だったが、恥より現状を打破したい気持ちが勝った。
「それじゃ、東京は出られないかもよ」
そう言われると、会ったばかりのチェコ人コーチに必死で食らいついた。
「じゃあコーチしてくれませんか?」
引用元:https://www.nikkansports.com/olympic/tokyo2020/athletics/news/202108060000898.html
北口榛花選手は、
デイビッド・セケラックコーチのアドバイスを受けるために、
チェコ語を勉強します。
コロナ禍で海外渡航ができない時期も、チャットアプリで連絡を取り続けた。メニューを作ってもらい、動画を送れば、アドバイスが細かく返ってきた。チェコ語も勉強し、言葉の壁を少しでも取っ払った。時差で「次の日のメニューは寝ている時しか来なかった」と笑うが、そんなのは取るに足りない事。この日もスタンドにはセケラック氏がいた。不安に支配されていた自分はいない。自信を持って、投げられた。
引用元:https://www.nikkansports.com/olympic/tokyo2020/athletics/news/202108060000898.html
北口榛花選手は、
「チェコ語はほぼ独学」で覚えたそうです。
「Number Web」の記事では、
「チェコ修行」の様子が伝えられていました。
日本大学の”今”を伝えるメディア「NU CATCH-UP」では、
2020年2月7日の掲載記事で、
北口榛花選手はチェコでの変化を言葉にしています。
―現在はチェコを拠点にされていますね?
初めて海外を拠点に競技をするというチャレンジをして、自分が思い描いた競技人生の在り方に近づけていると感じています。ここ数年は苦しいシーズンが続いていましたが、脱却できたのは海外を拠点にしたからですね。
引用元:https://www.nihon-u.ac.jp/catchup/sports/120/
―チェコに拠点を移したことで何か変化はありましたか?
たくさんのつながりがあって今のチェコ人コーチに出会えました。大きな変化は、誰か一人だけにおそわるスタイルから、いろいろな方の考え方に触れて自分自身が選択をしていくスタイルなったことです。チェコに拠点を移したことで劇的な変化があったというよりは、いろいろな方との出会いが積み重なり、徐々にポジティブに競技と向き合えるようになりました。
引用元:https://www.nihon-u.ac.jp/catchup/sports/120/
北口榛花は英語も話せる?
「北口榛花は英語も話せる?」については、
インタビューの受け答えはできるレベルではあります。
そのあたりの様子については、
ネットニュースの記事でも紹介されています。
アスリートの海外の言語力は話題になりやすく、
北口榛花選手の場合はInstagramに「Yeeeey I got first」とつづっただけでも、
それがネットニュース記事の見出しになることもありました。
インタビューでのチェコ語と英語の使い分けについては、
北口榛花選手はX投稿で次のような話を明かしています。
こちらのコメントから判断すると、
北口榛花選手にとっては「チェコ語はチャレンジ」のレベルで、
英語のほうが話し慣れているという感じのようです。
北口榛花選手がインタビューに、
英語で応対している動画を探してみました。
2023年8月、
ハンガリー・ブダペストで行われた世界陸上の女子やり投げで、
金メダルを獲得したときの北口榛花選手。
1分12秒の短い動画ですが、
前半は日本語、後半に北口榛花選手は英語でインタビューに応じています。
チェコ語を覚える前のエピソードでは、
デイビッド・セケラック氏にコーチ依頼をするときなど、
英語を使っていた話があります。
コーチとの会話について北口榛花選手は、
X投稿で次のように明かしていました。
「英語話せるひと使って会話してたし…」ということなので、
その時点での北口榛花選手は英語は何とかなっていたのでしょうね。
デイビッド・セケラックコーチとの言語のやりとりでは、
おもしろい話もありました。
北口榛花選手によると、
会いに行ったら、(デービッドは)全然英語がしゃべれないから、
何の詐欺かと思いました(笑)。
ということでした。
最初(会う前)はインスタのDMを使って英語でやりとりできていたのに、
会ってみたら、
チームメートとか(デービッドの)息子さんとかに、
会話の内容を聞かせるんです(通訳的な立場)……という状態だったので、
チェコ語を覚えることにしたそうです。
まとめ
北口榛花選手のチェコ語が流暢なのは、
修行のために競技の拠点をチェコに移したからです。
アスリートとして、
北口榛花選手にとっては転機のタイミングでした。