赤﨑暁さんは、マラソン選手。
2024年のパリオリンピックに出場。
今回の話題は、赤﨑暁選手の学歴です。
このページでは、
- 「【赤﨑暁の学歴】中学高校はどこ?」
- 「【赤﨑暁の学歴】大学は拓殖大学!」
- 「赤﨑暁の学生時代のエピソード4選!」
などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
【赤﨑暁の学歴】中学高校は熊本のどこ?
【赤﨑暁選手のプロフィール】
- 名前:赤﨑 暁(あかさき あきら)
- 生年月日:1998年1月21日(2024年3月現在 – 26歳)
- 出身地:熊本県菊池郡大津町
- 2024年現在の所属:九電工
【赤﨑暁選手のベストタイム・2024年3月現在】
- 5000m/13分27秒79
- 10000m/27分48秒09
- ハーフ/1時間01分46秒
- マラソン/2時間09分01秒
【赤﨑暁の学歴】中学はどこ?
2023年10月15日に2024年パリオリンピックマラソン日本代表選考会として、
2023年のマラソングランドチャンピオンシップは開催。
その赤﨑暁選手のプロフィールには、
「大津中学校(熊本)」と表記されていました。
Googleマップで位置を確認すると、熊本市寄りであることがわかります。
大津町(おおづまち)は、
県庁所在地の熊本市中心部から東北東に約19km、
熊本市と阿蘇山の中間です。
大津町立大津中学校の出身者には、
次のような人たちもいます。
- 黒木恭平選手(サッカー)ヴェルスパ大分(双子の兄)
- 黒木晃平選手(サッカー)ロアッソ熊本(双子の弟)
- 武田洋平選手(サッカー)大分トリニータ
- 畑本時央選手(サッカー)ツエーゲン金沢
- 古賀紗理那選手(女子バレーボール)
大津町立大津中学校・校舎の外観
【赤﨑暁の学歴】高校はどこ?
赤﨑暁選手の出身高校は、
私立の開新高等学校(かいしんこうとうがっこう)です。
所在地は、熊本県熊本市中央区。
「開新高等学校」のホームページでは、
赤﨑暁選手への「おめでとうごじますの画像」が掲載されています。
「開新高等学校」は、6つの学科のある学校です。
- 総合学科(情報処理・国際コミュニケーション・社会福祉)
- 普通科(普通コース・特別進学(特進)コース)
- 電気情報科
- 土木建築科
- 自動車科
- 機械科
赤﨑暁選手の他に、
開新高等学校の出身者には次のような人たちがいます。
- コロッケさん(ものまねタレント、お笑い芸人)
- 橋本博行さん(劇作家、脚本家)
- 中西晶さん (俳優)
- 安井まさじ(ローカルタレント、元吉本新喜劇団員)
- 英太郎(ローカルタレント)
- 重岡銀次朗さん(プロボクサー)
- 重岡優大さん(プロボクサー)
- 赤星陽治さん(柔道家)
- 杉尾拓郎(プロ野球選手)
【赤﨑暁の学歴】大学は拓殖大学!
赤﨑暁選手は、
2020年3月に拓殖大学を卒業しています。
画像は、「2019年12月21日 7時0分スポーツ報知」によるもの。
次の画像は西調布のクラブハウスにて、
赤崎暁選手(拓殖大学4年生のとき)と山下拓郎監督のツーショット。
「拓殖大学」はアジア開拓など外地に携わる人材育成を目的として、
「台湾協会学校」として1900年に創立。
その後、
「台湾協会専門学校」「東洋協会専門学校」「東洋協会植民専門学校」などに改称。
1918年に拓殖大学になりましたが、
その後も改称は繰り返されました。
現在、拓殖大学のキャンパスは、
「文京キャンパス」と「八王子国際キャンパス」の2つがあります。
拓殖大学の文京キャンパス。
拓殖大学の八王子国際キャンパス。
拓殖大学1年生で出場した赤崎暁選手の第93回箱根駅伝の記録
10区-区間12位/1時間13分05秒
拓殖大学2年生で出場した赤崎暁選手の第94回箱根駅伝の記録
3区-区間10位/1時間04分08秒
拓殖大学3年生で出場した赤崎暁選手の第95回箱根駅伝の記録
1区-区間18位/1時間04分26秒
拓殖大学4年生で出場した赤崎暁選手の第96回箱根駅伝の記録
3区-区間9位/1時間02分53秒
赤﨑暁の学生時代のエピソードは?
エピソード(1)中学はバレー部!ケニア人のような走り?
赤﨑暁選手の中学生時代はバレーボール部でありながら、
地元のマラソン大会では陸上部の選手よりも速かったそうです。
エピソードには、
陸上部の監督に「朝練習だけでも来てくれ」と言われて、
朝の時間は陸上部で活動していたというものがあります。
熊本県の2023年10月16日「KKT NEWS NNN」のページでは、
「中学時代にケニア人のような走り」という見出しになっていました。
高校時代の木村龍聖監督は、
赤﨑暁選手の中学生時代の走りを見て勧誘。
その様子は、
次のように明かされていました。
「 赤﨑選手の県中学駅伝での走りを見たが、本当にバネがあり、
ケニア人のような走りをするセンスのいい走りをしていたので、
勧誘して開新高校に来てもらった」
エピソード(2)高校から陸上部!
赤﨑暁選手が本格的に陸上を始めたのは、高校生になってからでした。
赤﨑暁選手を開新高校陸上部に誘った木村龍聖監督は、
パリオリンピック代表を決めたことについて、
次のように明かしています。
「本当に勝ち気な性格で負けず嫌いな所がありますので。
それが今、マラソンの結果にもつながっているのだと思います」
エピソード(3)大学に進学するつもりはなかった!
「赤﨑暁選手が大学に進学するつもりはなかった」という話は、
今では有名なエピソードになっています。
赤﨑暁選手はパン好きで、
兄が勤めている製パン会社への就職を希望していました。
取材記事などで赤﨑暁選手は、
「高校で陸上もやめるつもりだった」と明かしています。
そんな赤﨑暁選手が陸上を続けることになったのは、
同じ熊本県出身で当時の拓殖大学陸上部監督の岡田正裕さんの誘いがあったからでした。
赤﨑暁選手の知らないところで、
父と岡田正裕監督の間で話が進んでいたそうです。
エピソード(4)拓殖大学のトレーニング
拓殖大学時代に4年連続箱根駅伝に出場している赤﨑暁選手。
拓殖大学では、
1年生も例外なく約20日間で800キロを走る「地獄の阿蘇合宿」があります。
それは箱根に向け、
徹底して距離を走り込む監督の指導でした。
赤﨑暁選手は、
「最初はびっくりしたけど意外と走れた」と話しています。
そのトレーニングで、
「自身の長所に気づかされ、ロードに強い足腰が磨かれた」そうです。
まとめ
赤﨑暁選手は高校卒業のタイミングで、
陸上をやめるつもりでいました。
拓殖大学の監督に誘われることにより、
赤﨑暁選手はオリンピックへの道につながったのです。