太田海也さんは、競輪選手。
パリオリンピックの出場が決定しています。
今回は、太田海也選手の家族の話。
このページでは、
- 「太田海也のプロフィール!ハーフなの?」
- 「太田海也の両親(父母)の職業は?3人兄弟?」
- 「太田海也と家族のエピソード」
などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
太田海也のプロフィール!ハーフなの?
太田海也のプロフィール!
はじめに、
太田海也選手のプロフィールを確認していきます。
【太田海也選手のプロフィール】
- 名前:太田 海也(おおた かいや)
- 生年月日:1999年7月27日(2024年5月現在 – 24歳)
- 出身地:岡山県
- 競技:競輪選手、自転車競技選手
- 養成所:日本競輪選手養成所・第121期生
- 師匠:藤田昌宏氏(82期)
- 所属:日本競輪選手会岡山支部
- ホームバンク:玉野競輪場
太田海也選手の高校時代
岡山県立備前緑陽高等学校に入学後、
太田海也選手が選んだ競技はボート(漕艇)でした。
高校3年生の2017年には、
全国高等学校総合体育大会ダブルスカルで優勝しています。
全国高等学校選抜ボート大会シングルスカル、
国民体育大会ボート競技クオドルプルでは準優勝でした。
挫折で大学中退
日本大学に進学した太田海也選手は、
小柄のため成績が伸び悩んだことと腰痛が原因でボート競技を断念します。
そのまま、大学1年生のときに中退。
地元で日雇い
地元の岡山県に戻るも、
中退したことを両親には気持ちの上で報告できず、
太田海也選手は友人を頼って日雇いの仕事を始めます。
自転車との出会い
自転車があれば日雇いの現場まで移動しやすくなると考えて、
一目ぼれした100万円の自転車を購入。
自転車屋の店長から、
「うちで働いて支払ってくれたらいい」という展開になります。
その後、
店長からのすすめでロードレースに参戦。
まったくの素人でしたが、太田海也選手は優勝してしまいます。
そこから、
自転車競技の道に太田海也選手は進むことになりました。
養成所第121回選手候補生入所試験に合格
2021年5月27日に養成所で入所式。
同じ年の6月に行われた第1回記録会でゴールデンキャップを獲得したことの酔って、
養成所から早期卒業候補者として認定されています。
その後、
早期卒業の意思表示をして12月の競輪選手資格検定受験。
12月17日に、
養成所早期卒業者として認定されています。
UCIトラックサイクリング・ネイションズカップの成績
- 2023 第1戦(ジャカルタ) 男子スプリント:銀メダル
- 2023 第2戦(カイロ) 男子ケイリン:銅メダル
- 2023 第2戦(カイロ) 男子スプリント:銅メダル
パリオリンピック決定
太田海也はハーフなの?
数としては少ないですが、
「太田海也選手はハーフなの?」という声があがっています。
しかしプロフィールや経歴紹介からは、
太田海也選手はハーフ説を判断できる情報は見つかりません。
ハーフ説については、
顔の印象と苗字から「韓国籍」を連想されたのかもしれません。
「Yahoo!知恵袋」には、
次のようなQ&Aがあります。
太田海也の両親(父母)の職業は?3人兄弟?
太田海也の両親(父母)の職業は?
太田海也選手の両親(父母)の職業は公表されていません。
母親の話については、
次のようなネットニュース記事に登場しています。
2024年5月12(日)で、
母の日だったので母のことが見出しになったパターンです。
どのような人かがわかるような母親の情報は、
スポーツ報知の記事の中には出てきません。
家庭の状況がわかる話は、
「More CADENCE」のインタビュー記事に出てきます。
「幼少期は体操からスタートしました。
小学1年生くらいで辞めたのですが、…」という話に対して、
「きっかけはなんだったのでしょう?」と質問をされます。
太田海也選手は、
「習い事はできるだけしないでほしい」という家だったんです。
親が「送り迎えができないから」という理由でできなくて。
それでいろんな競技を転々としていましたね。
と答えていました。
このような事情を考えると、
両親は共働き、あるいは自営業と想像はできます。
太田海也は3人兄弟?4人兄弟?
一部の情報で、
太田海也選手は4人兄弟の3人目という話が広まっています。
しかし、
公式プロフィール等では確認できませんでした。
その情報もとが見つかったのは、
「More CADENCE」のインタビュー記事、
“「気づけば日本代表に」ニューフェイス太田海也の紆余曲折な経歴 “の中です。
「限られた範囲でスポーツをしていた少年時代」という話の中で、
「きょうだい構成は?」と質問に対して、
4人きょうだいの3人目です。上も下もいて、
あまり手がかけられないというのもあったと思います。
昔から僕だけ常に動いていて、
親から「多動症なんじゃないか」と心配されていましたね。
と回答。
さらに、
「ご家族もスポーツをされていましたか?」と質問を受けて、
太田海也選手は次のように答えていました。
家族は……弟が陸上をちょっとやっていたくらいで、
スポーツ一家ではなかったです。
体質的にも、あまりスポーツ向きではない一家だったと思います。
姉は動くだけで発作が出るような感じでした。
これによって、
太田海也選手には姉と弟がいることが確実にわかります。
太田海也と家族のエピソード3選!
太田海也と家族のエピソード(1)秘密兵器「お母さん」
太田海也選手と家族のエピソード(1)は、
「More CADENCE」のインタビューで紹介された秘密兵器「お母さん」です。
実はジェイソンコーチに、
「海也の自宅には今お母様が来ていて、ご飯を作ってくれているからあんなに強いんだ」
と聞きました…という話を振られて、
太田海也選手は母の料理について語り始めます。
「人生2回目の頼み込みをして、僕の家(静岡)に来てもらっています」
「お願い!オリンピックに出るために…」と説得。
「母親はもともと料理が好きなタイプで、
父親も含めて家族揃って僕を応援してくれているので、喜んでくれました」
続けて、
「お母様の料理が気になりますね」と言われて、
Instagramを紹介していました。
太田海也と家族のエピソード(2)母の日に感謝のメッセージ
太田海也選手と家族のエピソード(2)は、
母の日に優勝して、
母の日に感謝のメッセージを送ったときのネットニュース記事。
太田海也選手の言葉は次の通りです。
今日は母の日……
生んでくれて、ここまで育ててくれてありがとうございます。
小さい頃から僕は、めちゃくちゃなことを言ってきたけど、
いつも決断を押してくれた。
優勝したら言おうと思ってました。
太田海也と家族のエピソード(3)スポーツできない一家
太田海也選手と家族のエピソード(3)は、
「スポーツできない一家」という話です。
これは、
「More CADENCE」のインタビュー記事での質問の返答です。
「ご家族もスポーツをされていましたか?」と問われて、
太田海也選手は次のように話していました。
家族は……弟が陸上をちょっとやっていたくらいで、
スポーツ一家ではなかったです。
体質的にも、あまりスポーツ向きではない一家だったと思います。
姉は動くだけで発作が出るような感じでした。
まとめ
太田海也選手のハーフ説は、
根拠を示すものは何もありません。
「太田」という苗字で韓国籍を連想する人もいるようですが、
それは思い込みだと思われます。