太田りゆさんは、競輪選手。
パリオリンピック代表入りが決定しています。
今回は、太田りゆ選手の話。
このページでは、
- 「太田りゆのプロフィール」
- 「太田りゆは3人兄弟!弟は太田海也ではない!」
- 「両親はどんな人?離婚した?」
などについてお伝えします。どうぞ、ご覧ください。
太田りゆのプロフィール
はじめに、
太田りゆ選手のプロフィールを確認していきます。
【太田りゆ選手のプロフィール】
- 名前:太田 りゆ(おおた りゆ)
- 生年月日:1994年8月17日(2024年5月現在 – 29歳)
- 出身地:埼玉県上尾市
- 選手情報:選手登録番号15218
- 日本競輪学校:第112期生
- 師匠:早川成矢氏(78期)
- 所属:日本競輪選手会埼玉支部
- ホームバンク:大宮競輪場
インタビューでは、
運動について「周りから浮いてしまうほど得意だった」と話す太田りゆ選手。
ランドセルを背負っていた小学生時代は走って登校する女子だったそうで、
次のようなエピソードを明かしています。
家から学校まで、まず最初に走ってみて時間を測り、
次の日はそれより速く走るっていうことを毎日トライしてました。
そのために親にねだってストップウォッチ付きの時計を買ってもらった…
ランドセルが邪魔にならないよう肩紐をできるだけ短くしたり。
毎日タイムをノートに記録するんです。誰に褒めてもらうわけでなく、
ただ、タイムが速くなっていくことが面白くて……
上尾市立上平中学校、伊奈学園総合高等学校(画像)時代は、陸上競技部。
陸上競技を断念して競輪選手になった理由については両親の話が絡んでいるため、
ここでは省略します。
大学(東京女子体育大学)を休学し、
太田りゆ選手は競輪学校には第112期生として入学。
競輪学校在学中に女子自転車競技日本代表のセレクションがあり、
日本代表ヘッドコーチであったブノア・ベトゥ氏に太田りゆ選手は見いだされます。
競輪学校卒業前の2017年2月にアジア選手権のメンバーに選ばれた太田りゆ選手は、
前田佳代乃さん(2018年引退)と組んでチームスプリントに出場し、結果は3位でした。
競輪デビューは、2017年7月12日(高松競輪場)。
2024年5月22日、
パリオリンピックの自転車トラック競技日本代表候補選手に入りました。
太田りゆは3人兄弟!弟は太田海也ではない!
太田りゆは3人兄弟!
太田りゆ選手が3人兄弟であることは、
Wikipediaには次のように記載されていました。
「4歳上の姉と8歳下の弟を持つ3姉弟の真ん中」
インタビュー等の情報では探しきれませんでしたが、
太田りゆ選手のX投稿には、
「家族で初詣に行ってきました」と姉と弟が揃っている写真がアップされていました。
「真ん中が母」だそうです。
「競輪コラム – netkeirin(ネットケイリン)」には、
姉の話をしている太田りゆ選手の記事がありました。
” 選手になってから「はじめてこんなに休んだ!」ってくらい休ませてもらいました “
ということでレーシック手術後の安静期間。
その流れで、
お休み期間中には姉が子どもを産み、
私には初姪っ子が誕生♡メロメロ生活を楽しみました♡
と明かしていました。
弟は太田海也ではない!
苗字が同じで、同じ競輪選手。
「太田りゆ選手と太田海也選手は姉と弟か」と思うところですが、
二人には血縁関係はありません。
まず、出身地が違います。
太田りゆ選手は、埼玉県上尾市出身。
太田海也選手は、岡山県出身です。
太田りゆ選手は3人きょうだいで、
太田海也選手は4人きょうだいです。
姉について太田海也選手は、
「体質的にも、あまりスポーツ向きではない一家だったと思います。
「姉は動くだけで発作が出るような感じでした」と明かしています。
太田りゆ選手には当てはまらないですよね。
太田りゆ選手のほうはInstagramで2018年7月7日に、
「9つ下の」弟とのツーショットを投稿しています。
以上の話で、
「太田りゆ選手の弟は太田海也選手ではない」と言えますよね。
太田りゆの両親(父母)はどんな人?離婚した?
まずは、
両親の離婚の話しからチェックしていきます。
太田りゆ選手は、高校時代まで陸上競技に打ち込んでいました。
しかし、
両親の離婚で状況が変わります。
その話は、あらゆる取材記事で太田りゆ選手は明かしています。
「|Challenge+ チャレンジプラス」の紹介記事では、
次のような話になっていました。
大学でも陸上競技を続けるべく推薦で東京女子体育大学へ入学するも、両親が離婚したことから経済的に部活を断念せざるを得ない状況になり、家計を支えるべく一転してアルバイトを始める。
「Number Web」の記事「隠れたメダル候補、女子ケイリン。」では、
当時の太田りゆ選手の状況について、
次のように書かれていました。
太田は稼ぐ必要があった。
わらにもすがる思いで『女性でも稼げる仕事』と検索サイトしたところ、
ヒットしたのがガールズケイリンだったそうです。
大学3年の夏、
自転車競技の体験キャンプ「ガールズサマーキャンプ」に参加して、
太田りゆ選手は競輪選手をめざすことを決意。
実は高校時代に、
父親が競輪選手だった友人から、
『りゆは競輪選手に向いているよ』と言われていたそうです。
すぐに踏み出せなかったのは、
競輪学校の指導が厳しいことも知っていたからという話でした。
太田りゆ選手は、
「女の子も当たり前のように短髪で、
携帯電話も使えなくなるということも知っていただけに、
踏み出す勇気を出せずにいたんです」と明かしています。
以上のように離婚の話は明かされていますが、
太田りゆ選手の両親について、
どのような人なのかは公表されていません。
まとめ
両親の離婚によって、
太田りゆ選手は「お金を稼がなければいけない立場」になりました。
大学で陸上を続けることを断念して、競輪の道を選びます。
いよいよ、パリに向けて世界レベルにチャレンジです。