シゲキックス(半井重幸)さんは、ブレイクダンスダンサー。
出場が決定したパリオリンピックでは、金メダル獲得をめざしています。
今回の話題は、シゲキックス(半井重幸)さんの両親。
このページでは、
- 「シゲキックス(半井重幸)の父親はイケメンで顔画像は?」
- 「父親の職業は会社員?」
- 「シゲキックス(半井重幸)の母親はどんな人?」
などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
シゲキックス(半井重幸)の父親はイケメンで顔画像は?
シゲキックス(半井重幸)の父親はイケメンで顔画像は?
シゲキックス(半井重幸)さんの父親は顔画像は、こちらです。
こちらは、
家族旅行で東京の浅草寺に行ったときの写真だそうです。
その家族写真は、こちら。
左から、姉の半井 彩弥(AYANE)さん。
母の路美さん。
シゲキックス(半井 重幸)さん
父親の半井 重弥(なからい しげや)さんです。
シゲキックス(半井重幸)のプロフィール
あらためて、
シゲキックス(半井重幸)さんのプロフィールを確認していきます。
【シゲキックス(半井重幸)さんのプロフィール】
- 名前:半井 重幸(なからい しげゆき)
- 生年月日:2002年3月11日(2024年3月現在 – 22歳)
- 出身地:大阪府大阪狭山市
- 所属:第一生命保険
シゲキックス(半井重幸)さんがブレイキンと出会ったのは、
小学2年生のときでした。
4歳上の姉・半井彩弥(AYANE)さんについて行ったのは、
大阪シティエアターミナル地下1階にあるポンテ広場。
そこは、
「関西ストリートダンスの聖地」にもなっています。
いつもポンテ広場で踊っているのは、20代、30代の大人たち。
子供だったシゲキックス(半井重幸)さんは、
「人間って、こんな動きができるんだ」と驚いたそうです。
学校の授業を終えて、習い事を済ませて、
仮眠を取って、
大阪シティエアターミナル地下1階のポンテ広場に向かう日々。
両親が送迎してくれる車中でも、
シゲキックス(半井重幸)さんは体力を温存するために寝ていたそうです。
両親と姉のサポートがあったおかげで、
ずっと途切れることなくブレイキンの練習をできたと、
シゲキックス(半井重幸)さんは感謝の言葉を残しています。
シゲキックス(半井重幸)の父親の職業は会社員?
「シゲキックス(半井重幸)さんの父親の職業は会社員」については、
「2022年6月24日」の産経新聞(オンライン)の取材記事で明かされています。
マウンテンバイクが好きな会社員の父親からは、
山を自転車で走ったときの写真などが送られてくる。
見出しは、「パリ五輪の星、ブレイクダンサー半井重幸さんが描く未来」。
シゲキックス(半井重幸)さんの子供の頃は海外の大会に同行してもらったことなど、
家族がサポートしてくれた話が書かれていました。
「2022年6月24日」の産経新聞(オンライン)の取材記事の中では、
父親について他にも、
シゲキックス(半井重幸)さんが話していることがあります。
父親の性格については、
次のように明かしていました。
お父さんはずっと見守ってくれている感じ。
いい意味で、
いつまでもちっちゃかった頃の感覚で僕のことを見てくれている。
普段の父親との関係についても、
シゲキックス(半井重幸)さんは感謝の言葉で伝えています。
僕が世界で戦っていようが、
どんな重圧と向き合っていようが、いい意味で関係ない。
すごく日常的な会話をします。
大阪のポンテ広場でBボーイ(ブレイクダンスダンサー)の仲間入りをしたのは、
シゲキックス(半井重幸)さんが7歳のときでした。
その広場に仲間が集まるのは、夜の9時ごろ。
両親が送り迎えをしたり、付き添ったりして献身的にサポートしてくれたそうです。
当時の様子について、
シゲキックス(半井重幸)さんは次のように振り返っています。
僕が小さかったのもあります。
ただ、僕が本気になっていることに関しては、
一切否定的なことを言いませんでしたし、ずっとサポートしてくれました。
大人たちのブレイクダンスダンサーの事情と比較しながら、
自分の子供時代についても、
シゲキックス(半井重幸)さんは説明していました。
ダンスだけで生活するのは難しい。
大人のダンサーたちも普通にサラリーマンをしていて、
仕事終わりに集まって踊るのが当たり前。
だから、(練習が)始まるのが遅いんです。
夜の9時から11時、12時ぐらいまで踊っていました。
シゲキックス(半井重幸)の母親はどんな人?
シゲキックス(半井重幸)さんの母親の名前は、
半井路美さんです。
これについては、
「五輪金、目標で通過点 ブレークダンス・半井重幸(下)」で確認できます。
名前の読み方については、
一般記事の中に路美「るみ」という情報がありました。
画像は、家族旅行のときの路美「るみ」さんです。
シゲキックス(半井重幸)さんと、
よく顔が似ていますね。
「五輪金、目標で通過点 ブレークダンス・半井重幸(下)」の記事の中で、
母親の路美さんは、
シゲキックス(半井重幸)さんの7歳のころの話をしています。
「最初は(ブレイクダンスに)興味がなくて、『はよ帰ろ』という感じだった」
しかし、
子供時代のシゲキックス(半井重幸)さんは、
「ゼロから一を作り出す」という世界観に、
夢中になるのに時間はかからなかったそうです。
見よう見まねで逆立ちして仲間に入ると、
子供時代のシゲキックス(半井重幸)さんは、
ブレイキンの虜(とりこ)になったということでした。
記事の中には、
「『こうしなさい』と(強制的に)言われると逃げたくなる性格」とも、
子供時代のシゲキックス(半井重幸)さんについて明かされています。
「最初は興味がなくて、『はよ帰ろ』という感じだった」と母の路美。しかし「ゼロから一を作り出す」という世界観にのめり込むのに時間はかからなかった。見よう見まねで逆立ちし、仲間に入ると夢中になった。
引用元:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO46235030Y9A610C1935M00/
スポーツ応援サイト「GROWING」の取材記事では、
シゲキックス(半井重幸)さんに、
「世界を見るように導いてくれたのは母(路美さん)」であると伝えられていました。
- 母は「やると決めたことには一切の言い訳を許さない」タイプ。
- ブレイキンは僕より詳しいくらい」という情報通……時には助言もくれる。
- 「仲はいいけど、ちょっと師匠感があって緊張します…と笑う。
そんな母(路美さん)に影響を受けた話について、
シゲキックス(半井重幸)さんは次のように話しています。
- 「母は10代の頃から自分で貯金をして海外に出掛けていたアクティブな人」
- 「小さい頃から何をするにも世界を見てほしいと言われていました」
- 「世界はもっと広いんだから、物事を見る時はその地域レベル、国レベルでは捉えないようにって」
まとめ
シゲキックス(半井重幸)さんの父親は、自然体で見守ってくれるタイプ。
母親からは、世界的な視野を持つことを教わっています。