コナーオレアリーさんは、プロサーファー。
日本の代表選手として、パリオリンピックに出場します。
今回は、コナーオレアリー選手の家族の話。
このページでは、
- 「コナーオレアリーのプロフィール!国籍は?」
- 「母親は選手で父もサーファー?」
- 「コナーオレアリーの兄弟は何人?」
などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
コナーオレアリーのプロフィール!国籍は?
コナーオレアリーのプロフィール
はじめに、
コナーオレアリー選手のプロフィールを確認していきます。
【コナーオレアリー選手のプロフィール】
- 名前:コナー・オレアリー(Connor O’Leary)
- 生年月日:1993年10月12日(2024年4月現在 – 30歳)
- ホームタウン:オーストラリア・クナラ(クロヌラ)
- 身長:185cm
- 体重:85kg
- スポンサー契約:シチズン時計株式会社
コナーオレアリー選手のホームタウン・クナラ(クロヌラ)について、
「Cronulla」と画像検索すると「ビーチ」の風景が出てきます。
いかにも、
サーファーが生まれ育ちそうなところという印象です。
(実際のサーフィンが行われる場所ではないようです)
地図で見ると、
クナラ(クロヌラ)の位置はオーストラリアのシドニーの南になります。
コナーオレアリー選手は、幼少期からサーフィンを始めています。
ツアー(サーフィンの大会)参戦初年度は、2011年。
世界最高峰のツアー・ワールドサーフリーグ・チャンピオンシップツアーに、
2017年からコナーオレアリー選手は参戦。
その2017年は、ルーキーオブザイヤーを獲得しています。
2024年3月現在、WSLランキング10位。
動画は、
ルーキーオブザイヤーを獲得した年に紹介されたプロフィール動画。
コナーオレアリーの国籍は?
「帰化申請」ではなく「日本選手登録」を申請したと伝えられているので、
コナーオレアリー選手の国籍は「オーストラリアのまま」のようです。
日本移籍となった経緯を調べてみました。
コナーオレアリー選手が「オリンピックに出たい」と思ったのは、
2021年のオリンピックで2人の勇士を見たからでした。
その1人は、
オーストラリア代表のオーウェン・ライト選手(銅メダル)。
もう1人は、
若いころから切磋琢磨してきた五十嵐カノア選手(日本代表として銀メダル)。
画像は、
THE SURF NEWS「サーフニュース」の取材記事に掲載されているもの。
2022年5月に移籍を決断。
しかし、オーストラリアから日本への移籍手続きは難航。
パリオリンピックの最初の選考大会2022年(9月16日~24日)で、
五十嵐カノア選手が優勝したことによって、
日本男子のオリンピック出場枠が追加されました。
ISA(国際サーフィン連盟)はコナーオレアリー選手に、
移籍を認めるのは2024年1月1日からと通告。
日本から出場することへの批判もあるようですが、
「母親が日本人」のコナーオレアリー選手は、
日本の代表選手としてパリオリンピックに出場します。
コナーオレアリーの母親は選手で父もサーファー?
サーフメディア「WAVAL」の取材記事で、
「私の母はサーフィンのバックグラウンドが非常に強く、
彼女が20代、30代の頃にはプロとして競技をした。
父もサーフィンをしていたが、競技ではなかった。」
とコナーオレアリー選手は明かしています。
母親の名前は、唐沢明美さん。
父親の名前は、フィンバーさんです。
画像は、
プロのサーファーとして活躍していた母親の唐沢明美さん。
両親の出会いについては、
コナーオレアリー選手が母親と受けた「THE SURF NEWS」の取材で明かしています。
両親の出会いは交通事故
コナーがこの世に生を受けるきっかけとなったのは、オーストラリア東海岸を走るパシフィック・ハイウェイでの交通事故だったという。日本のプロサーファーとしてツアーを回っていた明美さんが乗った車がスリップ。そのピンチを救ったのが、のちの夫となるフィンバーさんだ。二人は数年の遠距離恋愛を経て結婚。明美さんは「ロマンティックでしょ?」とはにかむ。
引用元:https://www.surfnews.jp/feature/column/69509/
日本のプロサーファーとしてツアーを回っていた明美さん。
そのとき、移動中の車がスリップ。
「ピンチを救ったのが、のちの夫となるフィンバーさん」と書かれています。
遠距離恋愛を経て、
フィンバーさんと唐沢明美さんは結婚したそうです。
2017年あたりのコナーオレアリー選手の両親の画像。
コナーオレアリー選手は両親のサーフィンについて、
「SURFMEDIA」のインタビュー記事では次のように話していました。
父はサーフィン大好きなんだけど、試合とかには興味がない。
ママは競技としての波乗りが好きで、自分はどちらの良いところももらった感じだと思う。
コナーオレアリー選手本人は競技サーフィンも好きだけど、
スイッチ切って楽しんで波乗りをすることもできるということでした。
ハーフであることをネガティブに感じていた時期もあったということでは、
次のようなエピソードも話しています。
たとえば、
ママが弁当に寿司を入れてくれたときがあって、
それを周りの子たちに「なんか変な匂いがするぞ」って言われたりして、
ママに「普通のサンドイッチにして」とお願いしたりしたこともある。
コナーオレアリー選手は、
日本語も話せます。
こちらは、
プロサーファー黒川楓海都さんによるインタビュー。
コナーオレアリー選手も日本語で話しています。
「SURFMEDIA」の記事では、
日本語について次のような話をしていました。
母が僕を産んだときは英語があまり出来なかったから、僕には日本語で話しかけていた。
だから母国語が日本語なんだよね。幼稚園に行く様になって英語が話せる様になったんだから。
幼少期は、
毎年2か月は日本に滞在していたそうです。
コナーオレアリーの兄弟は何人?
サーフィン関連の取材記事の中で、
コナーオレアリー選手には弟が1人いることは確認できます。
画像で、
コナーオレアリー選手と弟の様子をチェックしてみました。
次のような画像もありました。
コナーオレアリー選手と弟の名前も調べてみましたが、
取材記事の中では見つけられませんでしたが、
F+コラム「コナー・オレアリーのサイン入りお土産プレゼント(訳あり品w)」で、
ツーショット画像とともに貴重な情報がありました。
コナーオレアリー選手と弟の二人は、
記事を書いている「つのだゆき」さんの家にステイしていたそうです。
次のような形で、
コナーオレアリー選手と弟の名前が出てきました。
ちなみにコナーの弟のリクちゃん(こちらもRICKではなくRIK)は
ジャッジ志望。
向いてると思う。
ものすごくいい目を持ってるから、とてもいいジャッジになると思う。
(ジャッジはサーフィンの審判のこと)
弟についてはコナーオレアリー選手は、
次のような話をしています。
13年間は、一人っ子だったんだ。
母と父はサーフィン大好きだったから、週末は波乗りっていうパターンだったんだけど、13歳の時に弟が出来た。
ちょっと年の離れた弟で子守とかもさせられたけど、自分の子供みたいに良い人生経験ができたと思っている。
ステファニーさんと結婚してからコナーオレアリー選手は、
レノックス・ヘッド(オーストラリアのニューサウスウェールズ州)で生活。
新天地については次のように答えていました。
波が良いし、良いサーファーもたくさん住んでいる。
もともと住んでいたクナラもいいけど、レノックスの方がワールドクラスの波がありますね。
まとめ
サーフィンを始めたのは両親の影響。
「帰化申請」ではなく「日本選手登録」を申請したと伝えられているので、
コナーオレアリー選手の国籍は「オーストラリアのまま」のようです。