林咲希さんは、バスケットボール選手。
現在は、Wリーグの富士通レッドウェーブに所属しています。
今回は、林咲希選手の家族の話。
このページでは、
- 「林咲希の父親の死因はがん?どんな人だった?」
- 「母親と姉はどんな人?」
- 「林咲希と家族のエピソードは?」
などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
林咲希の父親の死因はがん?どんな人だった?
林咲希の父親の死因はがん?どんな人だった?
林咲希選手の父親・豊樹さんが亡くなったのは、2017年8月でした。
原因は、「口腔(こうくう)底がん」と伝えられています。
それは東京五輪のシーズンに、
「林、3点シューター復活 バスケ女子初の銀の立役者
亡き父の逃げない心、支えに」という記事の中で明かされていました。
次のような話でした。
父・豊樹さんは、
糸島市職員で地元に小学生対象の「雷山ミニバスケットボールクラブ」を設立。
がんでは、2度の手術。
休んだら子どもたちに示しがつかないとして、
退院翌日から仕事に出かけようとしたそうです。
写真は右から、
林咲希選手、父の豊樹さん、(トヨタ自動車の安間志織選手)、母の幸子さん。
林咲希選手が5歳の頃と、父の豊樹さん。
林咲希のプロフィール
ここからは、
林咲希選手のプロフィールと経歴を確認していきます。
【林咲希選手のプロフィール】
- 名前:林 咲希(はやし さき)
- 生年月日、1995年3月16日(2024年7月現在 – 29歳)
- 出身地:福岡県糸島市出身
- コートネーム:キキ
- ポジションはガードフォーワード
- 身長:173cm
- 体重:65kg
- 現在の所属:Wリーグの富士通レッドウェーブ
林咲希選手は小学生時代に、
父のさんが作った雷山ミニバスケットボールクラブでバスケットボールを始めました。
地元の前原中学校を卒業したあと、
バスケットボールの強豪校の1つである精華女子高校に進学。
インターハイは、べスト16でした。
白鷗大学4年生のときにはインカレで優勝し、
林咲希選手は大会MVPと得点王を受賞しています。
2017年、JXサンフラワーズ(現:ENEOS)に加入。
2023年、富士通レッドウェーブに移籍。
林咲希は3姉妹!母親と姉はどんな人?
林咲希は3姉妹!姉はどんな人?
林咲希選手は、3姉妹です。
2人の姉は、
何度か林咲希選手のInstagramに登場しています。
2014年9月2日の投稿画像のスリーショット。
林咲希選手は、
「Instagram初(笑)今日はお姉ちゃんの誕生日
(*^^*)おめでとー!!」とコメントしていますが、
どちらの「お姉さんの誕生日」なのかはわかりません。
2023年4月28日には、
「家族時間 姉2人と姪っ子」と林咲希選手はInstagramに投稿しています。
地元・福岡県糸島市の海で、
姉と姪っ子と林咲希選手。
2人の姉もバスケットボールの経験者です。
「4years. #学生スポーツ」の取材記事で林咲希選手は、
姉のバスケットボールのことについて次のように話しています。
「私の父が地元に雷山ミニバスケットボールクラブを創設したんです。
姉2人も小学校2年生からそこでバスケットを始めたので、
私も小2からミニバスに入りました」
林咲希の母親はどんな人?
林咲希選手の母の名前は、幸子さんです。
Instagramの母子のツーショットは、
2014年9月14日に投稿されていました。
スポーツウェアブランド・チャンピンの青のスポーツTシャツを見れば、
林咲希選手の白鴎大学時代の画像だとわかります。
Instagramのコメントには、
お母さんが栃木に来た!笑
いい試合が見せれてよかった
来週からもがんばろ
と書いてありました。
林咲希選手の白鴎大学のユニフォーム姿は、こちら。
X投稿で、
三菱電機コアラーズの選手からの質問を受けて、
「おとーさんとおかーさんと、27歳の姉です笑」と林咲希選手が答えた画像。
林咲希と家族のエピソードは?
林咲希選手と家族のエピソードは、
「口腔(こうくう)底がん」で亡くなった父の話がメインになります。
家族のエピソード(1)父の訃報を受けたとき
林咲希選手と家族のエピソード(1)は、
父の訃報を受けたときの状況です。
それは、
ユニバーシアード(台北)参戦中でした。
「糸島市」が公開した漫画「林咲希物語」でも、
父の訃報を受けたときのことが描かれています。
姉のSNS。
母からの電話。
父のために日本へ戻るべきか、このまま台北に残るのか。
のちに林咲希選手は、
「父だったら『そのまま残ってやれ』(試合に出ろ)と言ってくると思ったので、
帰る気はなかったです」とコメントしています。
家族のエピソード(2)直前まで試合観戦の父
林咲希選手と家族のエピソード(2)は、
「直前まで試合観戦の父」です。
父・豊樹さんは亡くなる2週間前、
飛行機に乗って東京まで娘の応援に駆けつけています。
医者からは、
「飛行機移動は命の危険がある」と止められるも、
「最後かもしれない」と指示書を書いてもらったという話でした。
その日は、
父が娘に会った最後の日となったそうです。
家族のエピソード(3)父に捧げる東京五輪銀メダル
林咲希選手と家族のエピソード(3)は、
「父に捧げる東京五輪銀メダル」です。
林咲希選手の父親・豊樹さんが亡くなったのは、2017年8月。
東京五輪では、女子バスケットボールは銀メダル。
バスケでの日本のメダルは、男女を通じて初めてという歴史的な快挙でした。
林咲希選手は、
「近くで応援してくれていると思っていたので、不安もなかった」とコメント。
家族のエピソード(4)「主人も天国で喜んでる」と母
林咲希選手と家族のエピソード(4)は、
「希望の花が咲くように『咲希』と名付けた主人も天国で喜んでいるでしょう」
と母が言葉を残した話です。
東京五輪の決勝では、
米国チームからの徹底マークを受けて、
林咲希選手は3点シュートを決めさせてもらえませんでした。
それでも粘り強い守備で貢献し、意表を突くドリブル突破などで4得点。
母の幸子さんは、福岡県糸島市の家でテレビ放送を通して応援していました。
そして、
遺影と一緒に娘へ声援を送り続けた幸子さんは、
「希望の花が咲くように『咲希』と名付けた主人も天国で喜んでいるでしょう」
とコメントを残したのです。
まとめ
林咲希選手の父は、「口腔(こうくう)底がん」で亡くなっています。
悲報を受けたときは、台北で大会中。
林咲希選手は「帰らない」選択をして、試合に臨みました。