林咲希さんは、バスケットボール選手。
現在は、Wリーグの富士通レッドウェーブに所属しています。
今回は、林咲希選手の家族の話。
このページでは、
- 「林咲希の父親の死因はがん?どんな人だった?」
- 「母親と姉はどんな人?」
- 「林咲希と家族のエピソードは?」
などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
林咲希の父親の死因はがん?どんな人だった?
画像引用元:https://www.sponichi.co.jp/林咲希の父親の死因はがん?どんな人だった?
林咲希選手の父親・豊樹さんが亡くなったのは、2017年8月でした。
原因は、「口腔(こうくう)底がん」と伝えられています。
それは東京五輪のシーズンに、
「林、3点シューター復活 バスケ女子初の銀の立役者
亡き父の逃げない心、支えに」という記事の中で明かされていました。
次のような話でした。
画像引用元:https://www.nishinippon.co.jp/item/n/782646/
父・豊樹さんは、
糸島市職員で地元に小学生対象の「雷山ミニバスケットボールクラブ」を設立。
がんでは、2度の手術。
休んだら子どもたちに示しがつかないとして、
退院翌日から仕事に出かけようとしたそうです。
写真は右から、
林咲希選手、父の豊樹さん、(トヨタ自動車の安間志織選手)、母の幸子さん。
画像引用元:https://www.47news.jp/4937425.html
林咲希選手が5歳の頃と、父の豊樹さん。
画像引用元:https://www.nishinippon.co.jp/林咲希のプロフィール
ここからは、
林咲希選手のプロフィールと経歴を確認していきます。
【林咲希選手のプロフィール】
- 名前:林 咲希(はやし さき)
- 生年月日、1995年3月16日(2024年7月現在 – 29歳)
- 出身地:福岡県糸島市出身
- コートネーム:キキ
- ポジションはガードフォーワード
- 身長:173cm
- 体重:65kg
- 現在の所属:Wリーグの富士通レッドウェーブ
林咲希選手は小学生時代に、
父のさんが作った雷山ミニバスケットボールクラブでバスケットボールを始めました。
地元の前原中学校を卒業したあと、
バスケットボールの強豪校の1つである精華女子高校に進学。
インターハイは、べスト16でした。
白鷗大学4年生のときにはインカレで優勝し、
林咲希選手は大会MVPと得点王を受賞しています。
2017年、JXサンフラワーズ(現:ENEOS)に加入。
2023年、富士通レッドウェーブに移籍。
画像引用元:https://basketballking.jp/
林咲希は3姉妹!母親と姉はどんな人?
画像引用元:https://www.basketball-zine.com/林咲希は3姉妹!姉はどんな人?
林咲希選手は、3姉妹です。
2人の姉は、
何度か林咲希選手のInstagramに登場しています。
2014年9月2日の投稿画像のスリーショット。
画像引用元:https://www.instagram.com/p/scVK1tDEjx/
林咲希選手は、
「Instagram初(笑)今日はお姉ちゃんの誕生日
(*^^*)おめでとー!!」とコメントしていますが、
どちらの「お姉さんの誕生日」なのかはわかりません。
2023年4月28日には、
「家族時間 姉2人と姪っ子」と林咲希選手はInstagramに投稿しています。
画像引用元:https://www.instagram.com/p/CrlCdbhP4H4/
地元・福岡県糸島市の海で、
姉と姪っ子と林咲希選手。
画像引用元:https://www.instagram.com/p/CrlCdbhP4H4/
2人の姉もバスケットボールの経験者です。
「4years. #学生スポーツ」の取材記事で林咲希選手は、
姉のバスケットボールのことについて次のように話しています。
「私の父が地元に雷山ミニバスケットボールクラブを創設したんです。
姉2人も小学校2年生からそこでバスケットを始めたので、
私も小2からミニバスに入りました」
林咲希の母親はどんな人?
林咲希選手の母の名前は、幸子さんです。
Instagramの母子のツーショットは、
2014年9月14日に投稿されていました。
画像引用元:https://www.instagram.com/p/s7L0KujEvq/
スポーツウェアブランド・チャンピンの青のスポーツTシャツを見れば、
林咲希選手の白鴎大学時代の画像だとわかります。
Instagramのコメントには、
お母さんが栃木に来た!笑
いい試合が見せれてよかった
来週からもがんばろ
と書いてありました。
林咲希選手の白鴎大学のユニフォーム姿は、こちら。
画像引用元:https://x.com/HAKUOH_univ/status/1419809845977382914
X投稿で、
三菱電機コアラーズの選手からの質問を受けて、
「おとーさんとおかーさんと、27歳の姉です笑」と林咲希選手が答えた画像。
画像引用元:https://x.com/rmhj7/status/858296074363994112
林咲希と家族のエピソードは?
画像引用元:https://odawara-hakone.keizai.biz/林咲希選手と家族のエピソードは、
「口腔(こうくう)底がん」で亡くなった父の話がメインになります。
家族のエピソード(1)父の訃報を受けたとき
林咲希選手と家族のエピソード(1)は、
父の訃報を受けたときの状況です。
それは、
ユニバーシアード(台北)参戦中でした。
「糸島市」が公開した漫画「林咲希物語」でも、
父の訃報を受けたときのことが描かれています。
姉のSNS。
画像引用元:https://www.city.itoshima.lg.jp/s007/010/040/060/020/HayashiSaki_Stories_Re_03.pdf
母からの電話。
画像引用元:https://www.city.itoshima.lg.jp/s007/010/040/060/020/HayashiSaki_Stories_Re_03.pdf
父のために日本へ戻るべきか、このまま台北に残るのか。
のちに林咲希選手は、
「父だったら『そのまま残ってやれ』(試合に出ろ)と言ってくると思ったので、
帰る気はなかったです」とコメントしています。
家族のエピソード(2)直前まで試合観戦の父
林咲希選手と家族のエピソード(2)は、
「直前まで試合観戦の父」です。
父・豊樹さんは亡くなる2週間前、
飛行機に乗って東京まで娘の応援に駆けつけています。
画像引用元:https://www.47news.jp/4937425.html
医者からは、
「飛行機移動は命の危険がある」と止められるも、
「最後かもしれない」と指示書を書いてもらったという話でした。
その日は、
父が娘に会った最後の日となったそうです。
家族のエピソード(3)父に捧げる東京五輪銀メダル
林咲希選手と家族のエピソード(3)は、
「父に捧げる東京五輪銀メダル」です。
林咲希選手の父親・豊樹さんが亡くなったのは、2017年8月。
東京五輪では、女子バスケットボールは銀メダル。
バスケでの日本のメダルは、男女を通じて初めてという歴史的な快挙でした。
林咲希選手は、
「近くで応援してくれていると思っていたので、不安もなかった」とコメント。
画像引用元:https://www.nikkansports.com/家族のエピソード(4)「主人も天国で喜んでる」と母
林咲希選手と家族のエピソード(4)は、
「希望の花が咲くように『咲希』と名付けた主人も天国で喜んでいるでしょう」
と母が言葉を残した話です。
東京五輪の決勝では、
米国チームからの徹底マークを受けて、
林咲希選手は3点シュートを決めさせてもらえませんでした。
それでも粘り強い守備で貢献し、意表を突くドリブル突破などで4得点。
画像引用元:https://www.nishinippon.co.jp/item/n/782646/
母の幸子さんは、福岡県糸島市の家でテレビ放送を通して応援していました。
そして、
遺影と一緒に娘へ声援を送り続けた幸子さんは、
「希望の花が咲くように『咲希』と名付けた主人も天国で喜んでいるでしょう」
とコメントを残したのです。
まとめ
林咲希選手の父は、「口腔(こうくう)底がん」で亡くなっています。
悲報を受けたときは、台北で大会中。
林咲希選手は「帰らない」選択をして、試合に臨みました。

