本多灯さんは、競泳選手。
日本大学2年生のときに、
東京オリンピック競泳男子200mバタフライ銀メダルを獲得しています。
今回は、本多灯選手の家族の話。
このページでは、
- 「本多灯の実家はお金持ちで父親は院長?」
- 「本多灯の母親はどんな人?」
- 「本多灯は3人兄弟でそれぞれ職業は?」
などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
本多灯の実家はお金持ちで父親は院長?
本多灯選手の両親の職業については、
ネットニュース記事で同時に公表されています。
こちらは、
” 本多 終盤点火…200バタ「銀」”という見出しの読売新聞オンラインの記事に、
最後に書かれていた情報です。
医師の父の名前は、
2021年7月29日の日刊スポーツの記事で確認できました。
以上の情報で、
「本多正光 医師」あるいは「本多正光 病院」で検索することが可能になりました。
それによって見つかったのは、「本多産婦人科・内科医院」です。
ホームページの「医院よりお知らせ」に、
本多正光さんの画像とともに「あいさつ」の言葉がありました。
ここでポイントになるのは、
あいさつの文章にも出てくる「本多産婦人科・内科医院」の所在地です。
『神奈川県大和市渋谷5-39-2』
アクセス等は次の通り。
「神奈川県大和市」は、
本多灯選手が指導を受けていた「アリーナつきみ野スイミングスクール」がある場所です。
これで、
本多灯選手と「本多産婦人科・内科医院」の本多正光院長のつながりが見えました。
間違いなく親子でしょう。
「実家はお金持ち」については、
経営面、運営面も特に心配はなさそうです。
その1つの根拠として、
「新百合ヶ丘総合病院(神奈川県)」との連携があげられます。
「本多産婦人科・内科医院」は、
「新百合ヶ丘総合病院」の「地域連携登録医」に入っているので、
近隣の住民からも信頼は高いと考えられるからです。
「実家はお金持ち」にみえるかどうか、
「本多産婦人科・内科医院」の外観と内観をチェックしていきます。
「本多産婦人科・内科医院」の外観は、こちら。
待合室。
産科・婦人科・内科。
ペインクリニック(近赤外線温熱治療器による治療など)。
本多灯の母親はどんな人?
本多灯選手の母親の名前は、本多聡子さんです。
各種メディアには「本多灯選手」を育てたということで、
母親・本多聡子さんの話は取り上げられています。
母親の職業については最初にも紹介した通り、
医師の父と看護師の母の下に生まれ、
3歳から兄の背中を追って水泳を始めた。
という情報が読売新聞オンラインの記事にあります。
テレビ朝日「GET SPORTS」の本多灯選手の泳ぎの秘密に迫る記事には、
本多灯選手の母親・本多聡子さんのツーショットが掲載されていました。
ネットニュース等が大きく取り上げたのは、
卒園文集の本多灯選手と母・聡子さんの言葉です。
卒園文集に書いた本多灯選手の言葉は、
「おおきくなったらだれもぬかせない、プールのせんしゅになりたいです」
という子供らしい将来の夢でした。
それに答える形で母親の聡子さんは、
卒園文集に次のような言葉を残しています。
「オリンピックに、つれていってネ!たのしみにしています!!」
これによってネットニュースは見出しに、
「本多 幼稚園時代の母との約束果たした」とドラマチックに踊らせたのでした。
出身の「あづまの幼稚園」に訪問したときの本多灯選手。
卒園文集が取り上げられた記事の中では、
幼少期の本多灯選手について笑顔で語る母・聡子さんの言葉も紹介されています。
2歳から水遊びが大好き…
「浮輪も持たずに深いプールに行くので“要注意人物”だった」
そんな2歳の頃の本多灯選手は、
水泳を習う兄に付き添ってプールに行ったとき、
母・聡子さんが見ていない瞬間にとび込んだこともあったそうです。
東京オリンピック競泳の200mバタフライで、
本多灯選手が日本男子初のメダルとなる銀を獲得したとき、
母・聡子さんは次のようにコメントしています。
「泣くつもりないって決めていたんですが。
お恥ずかしいですけど込み上げてきちゃって。
今まで全部見てきているんで、ちょっとあふれちゃいました」
本多灯は3人兄弟でそれぞれ職業は?
本多灯選手の兄たちの名前は、
2021年7月29日のスポニチの記事、
「19歳・本多 200バタで銀!競泳男子に希望の光 メダル1号」で、
本多灯選手のプロフィールとともに紹介がありました。
それによると本多灯選手は、
「兄・光太さん、空さん。3人兄弟の末っ子」となっています。
名前の他に本多灯選手の兄の話が出てくるのは、
本多灯選手が水泳を始めたときのエピソードのみです。
取材記事あるいはインタビュー記事では、
「兄の影響で3歳から水泳を始める」となっています。
この表現だと、
どちらかの兄1人だけが水泳をやっていたと受け取れます。
光太さん、空さんも水泳を習っていたのであれば、
「兄たちの影響」と複数の表現になることが自然ですよね。
その後の兄に話は出てきませんので、
水泳を続けたのは本多灯選手だけだったと考えられます。
「水泳」の上達のために、
本多灯選手が母・聡子さんにねだったものがあります。
それは、「うんてい」です。
本多灯選手の願いは受け入れられて、
「うんてい」はリビングに取り付けられました。
このようになったのはもともと、
スーパー中学生としてブレイクした頃に池江璃花子さんが、
幼少期から「自宅のうんてい」にぶら下がって肩の柔軟性を磨いてきた。
という話に本多灯選手が思い立ったからです。
このような話から想像されるのは、
ある時期から両親の水泳競技への投資は本多灯選手のみに向けられていて、
兄の光太さん、空さんたちは別の道に進んだということです。
一般人ということで、
どのように育てられたかについてなど、
兄の光太さん、空さんの個人情報は保護しているのでしょうね。
まとめ
本多灯選手の父親は医師、母親は看護師です。
兄2人の職業の公表はありません。