五十嵐カノアさんは、
木下グループ所属の男子プロサーファー。
日本代表として、パリオリンピックに出場します。
今回は、五十嵐カノア選手の学歴の話。
このページでは、
- 「五十嵐カノアは高学歴でハーバードで経営専攻!」
- 「高校や中学校はどこ?」
- 「五十嵐カノアは引退後に父の会社を継ぐ?」
などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
五十嵐カノアは高学歴でハーバードで経営専攻!
五十嵐カノア選手は飛び級し、15歳で高校を卒業。
大学には進学せず、
プロサーファーとして活動をしていました。
ハーバード大学の経営大学院であるハーバード・ビジネス・スクールで学び始めたのは、
2023年9月からです。
「五十嵐カノア選手のハーバードで経営専攻」についての各種ネットニュース記事は、
母・美佐子さんのInstagramでの報告が取り上げられていました。
「カノアさんハーバード大学院に入学
9月から学生になりました 頑張りましたね」
2023年11月8日に五十嵐カノア選手本人は、
メガネをかけたスタイルでパソコンのディスプレイを見ている写真を投稿。
具体的に、
どのようなことを学習をしているのかを調べてみると、
資格・検定の一覧ポータルサイト 「日本の資格・検定」では2024年2月24日に、
「ハーバードで学ぶ五十嵐カノアの時間術」という記事が出ているのを発見しました。
ハーバードビジネススクールのカリキュラムのスタイルについては、
3カ月に1度の試験に向けて勉強を日々進め、
週1度オンラインで行われる教授とのミーティングで、
方向性を確認&修正していく……
という説明があります。
五十嵐カノア選手のコメントでは、
ハーバードビジネススクールを卒業するための姿勢の話がありました。
9月に入学してすぐに勉強がスタートしました。
2年のコースで終わらせるのが目標なので、
卒業するためにはとにかく必死に勉強をしなくてはいけない。
厳しいことですけれど、同時にとても面白いので、
勉強が大変だとは思っていないですね。
周囲の人たちの反応も含めてネット上では、
パリオリンピックへの影響を心配する声もありましたが、
それに対して五十嵐カノア選手は自分の考えを明確に発信してします。
五十嵐カノアの高校や中学校はどこ?学生時代のエピソードは?
五十嵐カノア選手の学歴、高校や中学校と、
学生時代のエピソードをチェックしてみました。
五十嵐カノアの高校や中学校はどこ?
マルチリンガル(英語、日本語、ポルトガル語、スペイン語、フランス語)で、
15歳で飛び級による高校卒業という五十嵐カノア選手の優秀さは、
多くのネットニュース記事で伝えられています。
五十嵐カノア選手の学校名(高校、中学校)は、
プロフィール等では公表されている様子はありません。
しかしGoogle検索で、
「五十嵐カノア選手 学歴」としたところ、
トップに「ハンティントン・ビーチ・ハイ・スクール」と出てきました。
「ハンティントンビーチ」は、五十嵐カノア選手の出身地です。
「ハンティントン・ビーチ・ハイ・スクール」は、
カリフォルニア州オレンジ郡ハンティントンビーチにある公立高校で、
1906年に設立されています。
フェイスブックで見られる学校の外観は、次のような感じです。
「ハンティントン・ビーチ」の風景。
学生時代のエピソードは?
学生時代のエピソードは、
日本の一般的な中学生や高校生のような話は出てきません。
すでに五十嵐カノア選手は、
サーファーとして試合に出場する日々を送っていたからです。
五十嵐カノア選手は「Kids For Clean Waves」に、6歳でデビュー。
いきなり、優勝しています。
11歳のときには、
「全米アマチュアサーフィン連盟」主催の大会で、
1シーズン中の最多勝タイとなる30勝という記録を打ち立て全米タイトルを獲得。
2011年にメインスポンサーである『Quiksilver』と契約。
「全米アマチュアサーフィン連盟」からプロの「ASP(現WSL)」に移行。
すると2012年、
プロジュニアからスタートして『DNAエナジープロ』で13歳にして初優勝。
動画は、YouTubeチャンネル「Kaku Sawai サーフィン研究所」のコンテンツ。
13歳の五十嵐カノア選手と18歳のJohn John Florence 選手。
『USA Championship U-18』では、
五十嵐カノア選手は史上最年少の14歳で優勝。
重ねて申し上げますが、
五十嵐カノア選手は飛び級して、15歳で高校を卒業しています。
五十嵐カノアは引退後に父の会社を継ぐ?
五十嵐カノア選手の将来については、
「父の会社を継ぐ」というほどに、
父親のビジネス(仕事の幅という意味で)が定着しているかどうか、
そのあたりがポイントになりそうです。
印象としては、
ハーバード大学で勉強を始めるなど、
これまでの五十嵐カノア選手の行動を見ると、
性格的にに自分で道を切り開くのではないかと思われます。
五十嵐カノア選手の言葉としては、
父親の会社についての言動はありません。
五十嵐カノア選手の両親は、1995年に移住。
「The Burn – Fm yokohama 84.7」に出演したときも、
多くのところで語っている移住の話を父親の五十嵐ツトムさんはしていました。
カリフォルニアに移住したきっかけの話。
結婚して夫婦で海外に住むことが目標だった。
子供は海外で産んでグローバルな人に育てたい。
できれば世界に通用するようなサーファーに育てたい二人で考えていた。
カリフォルニアでの初期の生活。
最初に貯めた300万くらいの現金と炊飯ジャーとか日本食を持って行って、
仕事はなかったので最初は観光ビザでカリフォルニアに入った。
語学学校に入ったら、2年間の学生ビザが出た。
その期間に、会社を起こした。
カリフォルニアで起ち上げた会社の話。
移住した1995年は、日本はアメカジブームだった。
ナイキのAIR MAX 95が流行っていた頃で、
現地で買って日本に送るっていう、そんな仕事がずっと続いていた。
アメリカ側には「外貨を稼ぐ会社」だと認識してもらえて、
グリーンカード(永住者カード)を取得できた。
父親・五十嵐勉さんのInstagramには、
まった説明はありませんが、
現在の会社だと思われる様子の画像が投稿されています。
(サーフボードの制作?)
(会社?サーフショップの外観?)
まとめ
「五十嵐カノア選手は引退後に父の会社を継ぐ」については、
これまでの行動を見ると、性格的にに自分で道を切り開くのではないかと思われます。