五十嵐カノアさんは、木下グループ所属のプロサーファーです。
東京オリンピックでは、銀メダルを獲得しています。
今回は、五十嵐カノア選手と家族の話。
このページでは、
- 「五十嵐カノアのプロフィール」
- 「五十嵐カノアの両親(父母)の職業は社長で年収は?」
- 「五十嵐カノアの弟もサーファー?」
などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
五十嵐カノアのプロフィール
はじめに、
五十嵐カノア選手のプロフィールを確認していきます。
【五十嵐カノア選手のプロフィール】
- 名前:五十嵐 カノア(いがらし かのあ)
- 生年月日:1997年10月1日(2024年5月現在 – 26歳)
- 国籍:日本(RedBullのアスリートページで確認)
- 出身地:アメリカ合衆国・カリフォルニア州
- 学歴:2023年9月からハーバード大の経営大学院であるハーバード・ビジネス・スクールに在学中
- 所属:木下グループ
五十嵐カノア選手は、
日本人の両親のもとにアメリカ合衆国・カリフォルニア州で生まれました。
「カノア」の名は、
ハワイ語で「自由」という意味に由来しています。
五十嵐カノア選手がサーフィンを始めたのは、3歳のとき。
画像は、5歳の頃の五十嵐カノア選手。
6歳になってローカルコンテスト「Kids For Clean Waves」でデビューして、
いきなり五十嵐カノア少年は優勝。
11歳のときは、
NSSA(National Scholastic Surfing Association)主催の大会で、
シーズン最多勝となる30勝という記録を打ち立てています。
2010年、12歳のときに全米タイトルを獲得。
2011年に『Quiksilver』と契約して、
NSSAからプロのASP(現WSL)に移行。(アマチュアからプロジュニアになる)
2013年から五十嵐カノア選手は、
CTの予選リーグであるQSにはプロジュニアと併行して参戦。
現在のサーフィンの(クラス)参考図。
2016年に五十嵐カノア選手は、18歳でCTの舞台に上がります。
2018年シーズンから、WSLの登録籍を日本に変更。
以降、おもな成績。
- 2016年 WCT Billabong Pipe Masters 準優勝
- 2017年 WSL Vans US Open of Surfing 優勝
- 2018年 WSL Qualifying Series 3000 – Pro Santa Cruz 2018 優勝
- 2018年 WSL Vans US Open of Surfing 優勝
- 2019年 WCT Corona Bali Protected 優勝(アジア人初)
- 2021年 東京オリンピック 銀メダル
- 2022年 WCT Hurley Pro Sunset Beach 準優勝
- 2022年 ISA World Surfing Games 優勝
五十嵐カノアの両親(父母)の職業は社長で年収は?
五十嵐カノアの母
1995年に、アメリカに移住。
五十嵐カノア選手が生まれる前のことでした。
移住の話を持ちかけたのは、母親のほうです。
ですから順番として、
五十嵐カノア選手の母・ミサさんの話しから入っていきます。
(「名前は美佐子さん」と表記されている場合もあり)
インタビューの記事で、
五十嵐カノア選手の母・ミサ(美佐子)さん次のように話していました。
自分が先にフィットネスのインストラクターを辞め、夫に「私は仕事を辞めてきたから、次はあなたの番だよ!」と海外移住を迫りました。
移住後の仕事については、
「仕事のあてがあったわけでもなく、知り合いもいないというまったくのノープランでした」
と明かす母・ミサ(美佐子)さん。
渡米したあとは、
フィットネスがさかんなハリウッドで、
フィットネスウエアを中心としたファッションの会社を起ち上げました。
ということでした。
Instagramには、LA在住28年フィットネスインストラクターと表記。
年収については、
会社の規模や現在の形態は公表されていませんので、
推定の金額を出すのもむずかしいところです。
五十嵐カノア選手の3歳の誕生日プレゼントのエピソードに、
当時の両親の経済力がわかる話はありました。
「誕生日プレゼントに何が欲しい?」
「サーフボードが欲しい!」
ということでショップに行って選ばせたら、
3歳のカノアさんが指さしたのは8万円のサーフボードだったそうです。
母・ミサ(美佐子)さんは、
当時の私たちにとってはかなりの高額だったので、違うものに目を向けさせようとしたのですが、…根負けして購入…
と明かしています。
五十嵐カノアの父
カノア選手の父の名前は、五十嵐 勉さん。
Instagramのには次のように表記。
サーフシティーのハンティントンビーチを拠点にヨーロッパ、
オーストラリアにハワイ….世界中を家族全員で周る生活を送ってます。
ファッションアイテムの他に、
サーフボードの制作、販売も手がけています。
五十嵐カノア選手のプロモーション等、
YouTubeチャンネルも運営しています。
1995年に移住したときは、勉さんは30歳でした。
東京にいるときはインストラクターの資格を取得して、ジムに勤務。
そこで、サーファー向けのプログラムなども作成していたそうです。
勤務先のジムで、
勉さんはミサ(美佐子)さんと出会っています。
五十嵐 勉さんは取材で、
「自分たちでフィットネスウェアを作って日本に送り、
渡米当時は(ハリウッド近郊の)ビバリーセンターの裏に住んでいたので、
民泊も経営していました」と明かしていました。
画像は、
若い頃の五十嵐 勉さんとカノア選手と弟キアヌさん。
「SURFMEDIA」の取材記事では、
日本のバブルも弾けて、
リーマンショックでアメリカの経済が年々機能しなくなって、
同時多発テロも発生…
という状況を過ごしたことも明かされています。
家族を養うために仕事を転々としていた勉さんも、
自分だけ日本に帰って仕送りすることも考えたほど厳しい状況のときもあったそうです。
仕事の関係でハリウッドに住んでいた五十嵐家。
カノア少年が「毎日サーフィンしたい」と言い出したことで、
ハンティントビーチ(カリフォルニア州)に引越したという話もありました。
苦労した話では、
「ローンが払えなくて息子の目の前で車がレッカーされて…」
という記事も文春オンラインから出ています。
2022年、2023年は、
「五十嵐ファミリー・写真展&トークショー」を日本で開催しています。
画像は、2022年のオッシュマンズ原宿でトークショー。
五十嵐カノアの弟もサーファー?
五十嵐カノア選手の弟の名前は、キアヌさんです。
2022年7月の「五十嵐ファミリー・写真展 & トークショー」では、
両親とともにキアヌさんも同行していました。
画像の中央が、キアヌさん。
取材記事の中に、
弟・キアヌさんもサーファーであることがわかる発言がありました。
自分の目標は世界で1番になること。
その過程でカノアを倒して1番になる。
QSも今のポジションをキープできれば、
来年はCSに出れるから今の感じで頑張ります。
画像は、カノア選手と弟・キアヌさんの子供時代と両親。
サーフィンと自然を愛する人のサーフメディア「WAVAL 」では、
2018年9月17日に、
「16歳の『五十嵐キアヌ』がトッププロの登竜門NSSAで4戦連続優勝!」
という記事が出ていました。
そのとき、
五十嵐キアヌさんは次のような表情。
弟のキアヌさんは、
兄のカノアさんへの尊敬の言葉も口にしています。
僕と兄のカノアは全然性格が違うんです。カノアは凄い真面目で努力家だけど、自分は楽しい方が好き。
カノアの生き方は素晴らしくって、一番厳しい道を選んで行ったところをとても尊敬しているんです。
兄カノアさんからもらったアドバイスも、
取材記事で弟のキアヌさんは明かしています。
いつも試合前は不安だったと言うキアヌさん。
カノアさんに「僕、負けるのが怖いよ。負けたくないよ。」と話したとき、
次のように返してくれたそうです。
負けるのは一番辛いけど、
マイク・タイソン、マイケル・ジョーダンでも誰でも
世界チャンピオンは負けたから1番になれたんだ。
でも負けて勉強しなかったら無駄。負けて勉強すれば良いんだ。
それから負けるのが怖くなくなり勝てるようになったとも、
キアヌさんは明かしています。
まとめ
五十嵐カノア選手の両親は、
子供をサーファーにしたいという思いも持ってアメリカに移住。
経済的には苦しい時期もあったようですが、
すべてを乗り越えて長男・五十嵐カノア選手は世界で活躍するサーファーになりました。