甲斐優斗さんは、バレーボール選手。
チーム最年少の20歳で、パリオリンピック日本代表に選ばれています。
今回は、甲斐優斗選手の家族の話。
このページでは、
- 「甲斐優斗の父親と兄はバレー選手!」
- 「母はバレー経験者?妹はいる?」
- 「甲斐優斗の家族エピソード」
などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
甲斐優斗の父親と兄はバレー選手!
甲斐優斗選手の父親
甲斐優斗選手の父親の名前は、晃宏(あきひろ)さん。
9人制バレーの実業団選手でした。
2021年の6月に、
父の甲斐晃宏さんは大腸癌のため亡くなっています。
その様子は、
甲斐優斗選手の地元の「UMKテレビ宮崎」でも放送されていました。
甲斐優斗選手の兄
甲斐優斗選手の兄はバレーボール選手で、
「V.LEAGUE DIVISION1 MEN」の「サントリーサンバーズ」所属しています。
名前は、「甲斐 孝太郎(かい こうたろう)」選手。
ポジションは、「オポジット」です。
【兄・甲斐孝太郎選手のプロフィール】
- 名前:甲斐 孝太郎(かい こうたろう)
- 生年月日:2001年11月5日(2024年7月現在 – 22歳)
- 出身地:宮崎県
- 学歴:宮崎県立日南振徳高等学校 ⇒ 専修大学
- 身長:187cm
- 体重:76kg
- バレーボールを始めた時期:小学2年生
- 注目のプレー:サーブ
- 現在の所属:サントリーサンバーズ
2022年12月には、
「男子日本代表候補若手有望選手合宿」の参加メンバーに選出。
2023年には、
ユニバーシアード日本代表に選出され、ユニバーシアードの試合に出場しています。
専修大学時代の兄・甲斐孝太郎選手。
2023-24シーズン、
サントリーサンバーズの内定選手となりました。
2024年3月に専修大学を卒業。
専修大学時代の弟・優斗選手とのツーショット。
甲斐優斗選手(画像左)と兄の孝太郎選手(画像右)
【甲斐優斗選手のプロフィール】
- 名前:甲斐 優斗(かい まさと)
- 生年月日: 2003年9月25日(2024年7月現在 – 20歳)
- 出身地:宮崎県
- 出身高校:宮崎県立日南振徳高等学校
- 身長:200cm
- 体重:79kg
- 現在の所属:専修大学(経営学部経営学科3年)
甲斐優斗の母はバレー経験者?妹はいる?
甲斐優斗の母はバレー経験者
甲斐優斗選手の母の名前は、照美さんです。
バレーボール経験については、
「ママさんバレーで活躍」とネットニュース記事では伝えられていました。
日刊スポーツの記事では、
「バレー一家」という話で次のように書かれています。
一般の記事では、
甲斐優斗選手の母・照美さんは、
ママさんバレーで日本一になったという話が広められています。
それについてのデータや資料を探してみましたが、
大会名簿や大会のトーナメント表などは見つけることはできませんでした。
画像は、小学2年生のときの甲斐優斗選手と母・照美さん。
ママさんバレーの大会については、
「一般社団法人 全国ママさんバレーボール連盟」の公式ページによると、
年に6通りの大会が開催されているということでした。
それは、
「全国ママさんバレーボール大会」「愛・チャンピオンズリーグ(旧冬季大会)」
「いそじ大会」「ことぶき大会」「おふく大会」「ま~みんフェスタ」の6つです。
甲斐優斗選手の地元・宮崎県のバレーボール協会もチェック。
公式サイトもありますが、
過去のデータ等は見当たらないので、
甲斐優斗選手の母・照美さんのバレーボールの活躍は確認できませんでした。
甲斐優斗の妹
甲斐優斗選手の妹は、
幼少期の画像(家族写真)が公表されています。
甲斐優斗選手の妹の名前は、
ネットニュース記事で「さくら」と紹介されていました。
年齢情報やバレーボール経験などについては、
妹の「さくら」さんの情報までは公表されていません。
甲斐優斗選手と3歳~4歳差だとすれば、
妹の「さくら」さんは(2024年現在)高校生くらいです。
甲斐優斗の家族エピソードも調査
甲斐優斗選手の家族エピソードを3つ紹介します。
甲斐優斗選手の家族エピソード(1)父が監督の少年クラブ
甲斐優斗選手の家族エピソード(1)は、大腸癌で亡くなった父の話です。
9人制バレーの実業団選手だった父・晃宏(あきひろ)さんは、
少年クラブ(バレーボール)の監督を務めていました。
そこ先に兄・孝太郎さんがバレーボールをしていたので、
練習を見に行くうちに、
父・晃宏さんのもとで甲斐優斗選手もバレーボールを始めるになったそうです。
厳しい練習を見ていた甲斐優斗選手は、
「俺は絶対、バレーをせん(しない)」と入部を嫌がっていたのですが、
少年クラブが全国大会に出場したときに登録選手の枠に空きが出て、
それがきっかけになったという話でした。
甲斐優斗選手の家族エピソード(2)父が亡くなったあと
甲斐優斗選手の家族エピソード(2)は、父が亡くなったあとの母の支えです。
父・晃宏さんが大腸癌でなくなったのは、
甲斐優斗選手が宮崎県立日南振徳高等学校の2年生のときでした。
甲斐優斗選手にとっては、母の応援が原動力。
2023年の五輪予選W杯バレーは、
実家の宮崎県から東京の代々木体育館にかけつけたそうです。
2024年はフランスリーグでのプレーでしたが、
SNSを通して動画をくまなくチェックしてくれるほどの母の応援熱。
甲斐優斗選手は、
母の応援について次のように明かしています。
ほんとに(母は)バレーボールが大好き。
自分が代表で活躍することが母の生きがいというか、
楽しみの1つになってるのかな。
甲斐優斗選手の家族エピソード(3)
甲斐優斗選手の家族エピソード(3)は、兄の話。
兄・甲斐孝太郎さんが専修大学に入学したころは、
コロナの影響であらゆる大会が中止になる状況。
無観客の試合も多く、
全日本学生選手権(インターカレッジ略してインカレ)の重みも薄れていたそうです。
兄・甲斐孝太郎さんにとって最後の年になったとき、
専修大学で弟の甲斐優斗選手とともにプレーできたことが嬉しかったと話しています。
男子バレーの日本代表選手になるほどの弟の甲斐優斗選手に対して、
「人間ってこんなに化けるか?と思うぐらい成長した」と感じたそうです。
まとめ
甲斐優斗選手の父親は、2021年に亡くなっています。
母親はママさんバレーで活躍、兄とは同じチームでプレー、
少し年齢の離れた妹は高校生くらいになっているようです。