高橋藍さんは、バレーボール選手。
パリオリンピック日本代表に選ばれています。
今回は、高橋藍選手の家族の話。
このページでは、
- 「高橋藍はハーフではなくクォーター?」
- 「母親は美人で父や兄弟はどんな人?」
- 「高橋藍と家族のエピソードは?」
などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
高橋藍はハーフではなくクォーター?
「高橋藍選手はハーフではなくクォーター?」については、
兄の高橋塁選手がX投稿で次のように明かしています。
この投稿よりも先の2年ほど前に、
「日米のクウォーターであり、英国やドイツの血も入っている」ことも、
兄の高橋塁選手はXに投稿していました。
あらためて、
高橋藍選手のプロフィールと経歴を確認していきます。
【高橋藍選手のプロフィール】
- 名前:高橋 藍(たかはし らん)
- 生年月日:2001年9月2日(2024年7月現在 – 22歳)
- 出身地: 京都府京都市
- 学歴:東山高等学校 ⇒ 日本体育大学
- 身長:188cm
- 体重:83kg
- 現在の所属:V.LEAGUE DIVISION1 MEN「サントリーサンバーズ」
高橋藍選手バレーボールを始めたのは、小学2年生のとき。
2つ年上の兄・髙橋塁選手と同じ小学生チームに入っています。
中学生のときは、
高橋藍選手が1年生、髙橋塁選手が3年生でバレーボール部のエース。
東山高等学校でも、
高橋藍選手が1年生、髙橋塁選手が3年生で、
エースの対角を組んでいました。
(ローテ―ションで、前衛、後衛で、それぞれ攻撃のかなめ)
大学は別々。
兄の髙橋塁選手は、日本大学。
高橋藍選手は、日本体育大学。
高橋藍選手は大学在学中に、
海外のリーグ(イタリア・セリエA)でプレーをしています。
- パッラヴォーロ・パドヴァ(2021-2023年)
- ヴェロ・バレー・モンツァ(2023-2024年)
2024年5月、同年7月からのサントリーサンバーズとの契約を発表
兄の高橋塁選手とは、高校1年生以来のチームメイトとなりました。
高橋藍の母親は美人で父や兄弟はどんな人?
高橋藍選手の母親
高橋藍選手の母の名前は、高橋小百合さん。
「Number Web」の記事で明かされています。
そのインタビュー記事では、
「どうやって育てていたのか覚えていない。とにかく大変でした」と、
3人の子供の育児について明かしています。
顔画像は、「足立病院」のX投稿に掲載されていました。
高橋藍選手の母・高橋小百合さん。
高橋藍選手の父
高橋藍選手の父の名前は、高橋政次さんです。
「Number Web」の記事では、
高橋藍選手の父について次のように明かされています。
高橋の父はかつて野球に打ち込み、高校時代はエースで4番。
巨人のスカウトが見にくるほどの有望株だった。
父・高橋政次さん。
兄はサントリーサンバーズの高橋塁選手
高橋藍選手の兄は、サントリーサンバーズの高橋 塁(たかはし るい)選手。
現在は、兄弟同じチームでプレーしています。
【兄・高橋塁選手のプロフィール】
- 名前:高橋 塁(たかはし るい)
- 生年月日:2000年1月14日(2024年7月現在 – 24歳)
- 出身地:京都府京都市
- 身長:186cm
- 体重:80kg
- 学歴:東山高等学校 ⇒ 日本大学
- 所属:V.LEAGUE DIVISION1 MEN「サントリーサンバーズ」(2022年~)
高橋藍選手の妹
高橋藍選手の妹の名前は、高橋 莉々(たかはし りり)さん。
画像は、こちら。
妹の高橋 莉々さんは、中学3年生のときに身長170cmになっています。
立蜂ケ岡中学校に在学していた高橋莉々さんは、
都道府県対抗のバレーボール大会に出場していました。
高校は、京都両洋高校。
バレーボール部のInstagramに、
妹の高橋莉々さんの姿がありました。
顔を確認。
ネット上の「2005年1月24日生まれ」という情報が本当であれば、
妹の高橋莉々さんは、
大学2年生くらいになっていることになります。
Xアカウントは、なりすましっぽいものが3つほどありました。
(コメント内容の言葉遣いがキャラ的に嘘っぽいです)
高橋藍選手のいとこ!モデルの杏里
高橋藍選手のいとこは、モデルの杏里さんです。
兄弟で運営しているYouTubeチャンネル「らんるい」に、
いとこの杏里さんも登場しています。
高橋藍と家族のエピソードは?
高橋藍選手と家族のエピソードをチェックしました。
高橋藍選手と家族のエピソード(1)名前の由来
高橋藍選手と家族のエピソード(1)は、名前の由来。
3人の子供、長男・高橋塁選手、次男・高橋藍選手、
末っ子の高橋莉々さんの名前は、
父親の高橋政次さんが考えたそうです。
父親の高橋政次さんは、
プロ野球のスカウトが見に来るほどの高校球児だったという話。
それで、
長男には一塁、二塁の“塁”、次男にはホームランの“藍(ラン)”となったと、
「Number Web」の記事には書かれています。
他のネット上の情報によれば、
末っ子の莉々(りり)さんは「リリーフ投手」の「リリ」ということでした。
高橋藍選手と家族のエピソード(2)母の思い
高橋藍選手と家族のエピソード(2)は、母の思い。
母の小百合さんは、
「Number Web」の記事は次のような話もしています。
「(塁と藍には)ほんまは同じスポーツをやってほしくなかった」
「比べられるやないですか。私も姉妹だったので、比べられるのが嫌やったんです」
個性が違ったので、
兄弟で衝突することはなかったという言葉もありました。
とにかくバレーボールをやりたくて始めた塁は、
勝ち負けよりも楽しさを求めた。
幼少期から兄に負けじと過ごしてきた筋金入りの負けず嫌いの藍は
勝負にこだわった。
運動能力は優れていても、
バレーボールでは藍が常に塁の背中を追い続けていた。
高橋藍選手と家族のエピソード(3)バレーを辞めたい?
高橋藍選手と家族のエピソード(3)は、
高橋藍選手がバレーを辞めたくなったときの話です。
兄に塁さんが小学校を卒業した年に、
高橋藍選手はバレーボールをやめようとしたことがあったそうです。
その理由については次のように話しています。
バレーを嫌いになったわけではないけど、塁がいるから始めたので、
やっている意味がないなと思ったのです。
両親は、
「(バレーボールでなくてもいいから)スポーツはしてほしい」と言ったそうです。
他のスポーツを始める根性もなく、
バレーボールなら塁さんに聞けるということで、
高橋藍選手は「続ける」選択をしたということでした。
まとめ
高橋藍選手は母がハーフで、本人はクォーターです。
兄も妹もバレーボ-ルを選びましたが、
もと野球球児の父親は3人の子供に野球にちなんだ名前をつけています。