柳田大輝さんは、
東洋大学所属の陸上競技選手です。
今回は、柳田大輝選手の家族の話。
このページでは、
- 「柳田大輝の弟は2人で兄弟全員が陸上選手!」
- 「柳田大輝の両親もアスリートだった?」
- 「柳田大輝と家族のエピソードはある?」
などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
柳田大輝の弟は2人で兄弟全員が陸上選手!
画像引用元:https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/70785柳田 大輝(ひろき)選手の弟は2人です。
次男の名前は、聖人(きよと)さん。
三男は、聖大(あきひろ)さんです。
2024年6月26日の「スポニチ」の記事では、
幼少期の柳田3兄弟の画像が公表されていました。
画像引用元:https://www.sponichi.co.jp/
第77回栃木国体には、
柳田大輝選手、柳田聖人選手、柳田聖大選手の3兄弟で出場。
そのときに撮影されたスリーショットを柳田 大輝(ひろき)選手は、
Instagramに投稿していました。
画像引用元:https://www.instagram.com/p/CjckNARvV8i/
ここからは、
「兄弟全員が陸上選手」についてチェックしていきます。
次男の柳田 聖人(きよと)さんは、
400mハードルの競技でネットニュースになっていることが多いです。
「東京農業大学第二高等学校」時代の柳田聖人選手について、
群馬の「上毛新聞」ネットニュースでは次のように取り上げていました。
画像引用元:https://www.jomo-news.co.jp/articles/-/132118
2024年5月12日には、
「スポーツ東洋@home」のX投稿で、
柳田聖人選手の「第103回関東学生陸上競技対校選手権大会」の結果を伝えています。
画像引用元:https://x.com/sportstoyo2/status/1789514910805962866
次男の柳田聖人選手についてわかる情報は次の通りです。
- 名前:柳田 聖人 (やなぎた きよと)
- 生年月日:2004年生まれ(柳田大輝選手の1歳下)
- 専門の種目:400mハードル、400mリレー
- 小学校:館林市立第一小学校
- 中学校:館林市立第一中学校
- 高校:東京農業大学第二高等学校
- 大学:東洋大学
三男の柳田聖大選手は、
2023年の陸上の関東高校大会に出場しています。
男子走り幅跳びで、
柳田聖大選手は初優勝と群馬の上毛新聞(ネットニュース)で報道されていました。
画像引用元:https://www.jomo-news.co.jp/articles/-/300518
三男の柳田聖大選手についてわかる情報は次の通りです。
- 名前:柳田 聖大 (やなぎた あきひろ)
- 生年月日:2006年生まれ(柳田大輝選手の3歳下)
- 専門の種目:
- 小学校:館林市立第一小学校
- 中学校:館林市立第一中学校
- 高校:東京農業大学第二高等学校(2024年現在、3年生)
柳田大輝の両親もアスリートだった?
画像引用元:https://4years.asahi.com/article/14900954「両親もアスリートだった」については、
「柳田大輝選手の陸上競技を始めたきっかけ」とともに、
複数の取材記事等で明かされています。
柳田大輝選手の地元は、群馬県館林市。
東京農業大学第二高等学校2年生のとき、
群馬を楽しむ情報マガジン「タウンぐんま」の記事では、
「陸上競技を始めたきっかけは…」という問いに次のように答えていました。
画像引用元:https://towngunma.jp/pickupg/athlete-yanagita/
柳田大輝選手の両親も陸上競技をやっていた話は、
3兄弟の幼少期の画像が掲載されたネットニュース記事の中で、
具体的に明かされていました。
画像引用元:https://www.sponichi.co.jp/こちらの記事の後半で、
「日女体大時代に七種競技で活躍した母・昌代さん(44)が振り返る。」
と書かれています。
軽トラックを使った特訓(約1トンの重量の軽トラを両手で押し続ける)について、
母・昌代さんが説明していました。
七種競技(ななしゅきょうぎ)は、
2日間で合計7種の競技を行う陸上競技における混成種目です。
その7種の競技は、
「100mハードル」「走高跳」「砲丸投」「200m走」
「走幅跳」「やり投」「800m走」です。
母・昌代さんの実績については1998年に、
「第14回U20日本陸上競技選手権大会」の混成種目で優勝したという話がありました。
それによって、
「群馬陸上競技協会」で平成10年(1998年)に勲功章を受賞しているそうです。
母・昌代さんの旧姓は、森原さん。
画像引用元:https://gold.jaic.org/gunma/general_info/candawards/AGawards.pdf
日女体大時代の昌代さんは、
1999年の「天皇賜杯 第68回日本学生陸上競技対校選手権大会」で、
「女子 七種競技総合」8位と記録を残していました。
画像引用元:https://iuau.jp/ev1999/68jic/REL110.HTM
柳田大輝選手の「追い風参考も9秒97!」の記録を伝えるネットニュースでも、
陸上一家に育ったことが紹介されています。
父親の名前は、輝光さん。
東海大学で三段跳びをやっていたそうです。
画像引用元:https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2024/06/16/kiji/20240615s00056000346000c.html
父親の輝光さんには、
「中学校の教諭」「陸上部の顧問」という情報もありました。
柳田大輝と家族のエピソードはある?
画像引用元:https://www.sanspo.com/柳田大輝選手と家族のエピソードをチェックしました。
柳田大輝選手と家族のエピソード(1)「秘密特訓の話」
柳田大輝選手と家族のエピソード(1)は、
「秘密特訓の話」です。
それは、
「約1トンの重量の軽トラを両手で押し続ける」という訓練。
兄弟3人のうち2人は軽トラの荷台で声を張り上げ、
80mほどの距離を1人が押していたそうです。
母・昌代さんは次のように説明。
「大輝が“何か押す物ないかな”とずっと言っていて、それで軽トラを思いついた」
昌代さんは仕事に出かける前に、
3人の息子たちを館林市の自宅から昌代さんの実家の明和町まで送迎。
そこで、秘密特訓。
ニュートラル状態の軽トラのハンドルを握っていたのは、
祖父(昌代さんの父)ということでした。
柳田大輝選手と家族のエピソード(2)悩み
柳田大輝選手と家族のエピソード(2)は、
「陸上一家ならではの、悩みは?」についての話。
これは、
「TBS NEWS DIG」のインタビューで受けた質問でした。
柳田大輝選手は、
なんですかね、会話は陸上ばっかですね。陸上のこととか、彼女がいるのかの話しとか、本当にそればっかですね。
と答えています。
つづけて、
「(兄弟3人とも陸上をしていると)ご両親は大変そうですね。どこに応援に行っていいのか」
という質問がありました。
それに対して柳田大輝選手は、
「両親は全部行くってポリシーらしい…」
「ホテルとか航空券を取るとか、得意って言ってました」
と明かしています。
柳田大輝選手と家族のエピソード(3)弟
柳田大輝選手と家族のエピソード(3)は、
弟(次男)の聖人さんとの話。
インタビューで、
「弟の聖人さんは高校、大学と栁田選手と同じ道をたどってますね?」
と質問されて柳田大輝選手は同じ寮で同じ部屋であることを明かしていました。
柳田大輝選手は、東洋大学3年生。
弟の聖人さんは、東洋大学2年生です。
画像引用元:https://newsdig.tbs.co.jp/お互い鑑賞したりしていないですけど、ある意味気楽にやれてる部分が大きいのかなって思います。
と弟について答えていますね。
兄弟の仲は良さそうです。
まとめ
柳田大輝選手は、陸上一家で育ちました。
弟のふたりも、大会優勝の経験のある有望な選手です。

